- 2人~5人
- 50分~125分
- 14歳~
- 2023年~
ブリュッセル1893:ベル・エポック山本 右近さんのレビュー
1.
あれから三ヶ月が経った。
『Shikoku 1889』を囲んだあの日の夜に見た夢のような何かは、梅雨の湿った空気とともに、どこか曖昧な輪郭を保ちながら、依然ぼくの記憶の中に滲んでいる。古びた景色に、何処からか響く汽笛。そして、ユカの後ろ姿。
ぼくたちは大学時代のサークル仲間で、普段それほど深い付き合いはないけれど、こうして時折誰かの家に集まっては少し大きめのテーブルにボードを広げ、木駒とトークンの山と、ちょっとした飲食物と、小さな物語を置いていく。
今日はカワイの家に集まっている。少し古いアパートの二階だ。玄関に貼られた「深夜の鉄道トーク禁止」の貼り紙は、おそらく西大寺へ向けた私信だろう。
「あ、このゲーム、知ってるかもしれない」
ぼくはボードゲームが雑然と並べられた棚の、一番奥にあった箱を引っ張り出した。少し埃をかぶっているけれど、傷付いてはいない。
それは『ブリュッセル 1893』というタイトルのゲームだった。アール・ヌーヴォーをテーマにした、どこかクラシカルで、サラ・ベルナールのような気品のある装丁。十年と少し前に一度出版され、最近新版が出版されたばかりだ。
「いつか前にもやって面白かった記憶がうっすらあるんだよな、これ」
「あっ、それ…」
カワイが一瞬、手を伸ばしかけた。ぼくを止めようとしたのかもしれない。しかし、それより早く箱の蓋は開かれた。その時、ぼくの目に真っ先に飛び込んできたのは、ゲームボードでも木駒やカードでもなく、一枚の写真だった。
新しいけれど、ちょっとだけ色褪せている写真。カワイ、西大寺、ユカ、そして見覚えのない男がひとり。彼らはテーブルを前にこちらを向いて座っていた。テーブルの上には『ブリュッセル 1893』が広げられている。
「…この写真は?…これ、誰だっけ?」
ぼくは箱に入っていたその写真の、特にその知らない男の写った場所を指さして訊いた。
カワイと西大寺は少しだけ気まずそうに顔を見合わせた。そして少しの間の後、おもむろに西大寺がロを開いた。
「シラトリのこと、覚えてなかったか」
ユカはその間、無言でコンポーネントを取り出していた。まるで何も聞いていないかのように。
「これは、お前が撮ったんだよ」
カワイが缶ビールを開けながら言った。
「あ…そうだっけ」
「ほら、裏にお前の筆跡で、"負けた!悔しい!"って書いてある。今お前、前にやったかもって言ったろ?その時だよ。元気にしてるかな、あいつ」
ぼくにはピンとこなかった。そう言われれば、確かにそんな気もした。でも、まるで自分じゃない誰かの記憶を再生しているような感覚だった。
『ブリュッセル1893』は、4人ベストとされている。だが、5人まで遊ぶことができる。つまり、この写真は…。
ぼくの知らない、でも、もしかしたらかつてのぼくが知っていたシラトリという男が、ぼくと一緒にそこにいたということだ。
西大寺は、いつも通り細かいルールを確認しながら、ちらりとぼくの方を見た。その目には、何か言いかけてやめたような翳りがあった。
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元版の「Bruxelles 1893」は2013年の作品だが、ワーカープレイスメントのワーカー配置に競りやマジョリティ争いという要素を違和感なく融合させていて、今遊んでも全く古さを感じない。当時遊んでいたらどういう感想を抱いただろうか。5人まで遊べるがどうやら4人ベストらしい。まだ5人で遊んでいないので一度試してみたい。
2.
ゲームは既に始まっていた。ユカは静かにルールブックを読み返していて、西大寺はテーブルの上に並べられた小さな美術品を眺めていた。カワイはボードの端から端に、どこか落ち着かない視線を投げかけながら、コインを額面ごとに整理していた。
「スタートプレイヤーがアール・ヌーヴォーボードのアクションスペースの有効範囲を決めるんだっけ?」
ぼくが尋ねると、西大寺が無言で頷いた。彼の前には、スタートプレイヤーマーカーと小さな直角定規とが置かれている。
アール・ヌーヴォーボードには、毎ラウンド、決められた範囲にしかワーカーを配置することができない。その配置可能な範囲を、スタートプレイヤーが直角定規を使って決定する。そして誰かがアクションスペースを使うたびに、そこにはコストが発生する。
コストはプレイヤーが自由に値付けできるが、ワーカー配置はその列への競りの入札も兼ねていて、一度のワーカーの配置が二重、三重の意味を持つ。そしてそれがこのゲームの大きな魅力でもある。ぼくはそのギミックが、なんとなくブリュッセルという都市の活気を感じさせるようで好きだった。
西大寺はどこにワーカーを置くか、少し悩むような素振りを見せながら「1金かな…。2金でもいいけど、初手だからちょっと様子をみよう」と呟いて、静かに1金とワーカーひとつを「資材」アクションスペースに置いた。
「最初からそこに行く気満々の顔してたけどな」
とカワイが苦笑する。
「だって、とりあえず資材は確保したいじゃん。建築に必須だし、ブリュッセルボードでも取れるけど、あそこはワーカーを出張らせすぎると逮捕されるから。上手く使えば強いけど、諸刃の剣なんだよ」
西大寺の言う通りだ。ブリュッセルボードで突出した動きをすると、ラウンドの終わりにワーカーが逮捕され減らされる。まるでこの街に溢れる芸術の華やかさと、その光が作り出す影を暗示するかのようだ。前回やった時も、確かぼくのワーカーがいくつか逮捕されて…。
そう、前回。
そこまで考えて、ふと記憶の底で、沈殿していた何かが浮かび上がる感覚があった。
「今回は4人だからちょうど良いな」という、カワイの言葉。あのとき、聞いた記憶がある。
けれど、あの写真がぼくが撮ったものだとしたら、前回は5人だったはずだ。しかもそのうちの1人、シラトリのことを、ぼくはまるで知らない。
「…なあ、前回このゲームやったのって、いつだったっけ?」
ぼくの声に、カワイと西大寺がほとんど同時に手を止めた。その一瞬は、まるで誰かの汗がテーブルに落ちた音すら拾えそうな静寂だった。
「一昨年の春だな」と西大寺がぽつりと言った。
「桜が、もうほとんど散ってたよな」
「うちに来た帰りに、近くの焼き鳥屋に寄ったろ?覚えてないか…」とカワイが付け加える。
近くの焼き鳥屋。確かに行った。でも微かに残る記憶では、テーブルは4人席だった気がする。あの写真を撮ったとき5人いたなら、そのあとも5人いたはずだ。だけど、焼き鳥屋で思い出せる顔は、ぼくを含めてたった4人。西大寺、カワイ、そして…ユカ。
ぼくは、自分の記憶のどこかに綻びがあるような、そんな不安を覚えながら、個人ボードの横で立ち尽くすワーカーに手を伸ばした。まるでこのワーカーも、自分の居る場所が本当に正しいのかを疑っているかのように見えた。
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ラウンド開始時に、スタートプレイヤーがアクションスペースの有効範囲を決める。これは最初のラウンドではそれほど大きな意味を持たないが、2ラウンド目以降はかなり重要度が増す。マジョリティ争いがあるとはいえ、手番周りも考えるとスタートプレイヤーがかなり有利にできている。持ち回りシステムではないので、積極的に取りに行きたい
3.
名声カードをめぐる競りは、言うなれば静かな戦争だった。ラウンドの終わりの始まりに、アール・ヌーヴォーボード上に配置されたワーカーたちが、その列ごとに競りの勝者を決めていく。列ごとに誰が一番多くコストを支払っていたか。それにより、名声の行方が決まる。
「ここの列はカワイの勝ちかな」
西大寺が言った。西大寺が建築アクションにより建物で埋めたその列の最後の1マスに、カワイは西大寺に利を与えると知りつつ飛び込んで、競りでの優勢を確定させていた。このラウンド、追加で二枚の貴族を手元にキープしていたカワイが、最初の列にある名声カードを手にした。
カワイが手にしたのは、王冠トラックを二段階進める名声カードだった。
その効果は強力だ。王冠のトラックが進めば、グラン・プラスアクションで一度に効果を使える貴族カードの枚数が増えていく。貴族カードは獲得時に使い捨てることも、使い回しできるように手元にキープしておくこともできるが、手元に置いている場合、トラックの伸びがその運用数に直接関わる。つまり、そのままゲーム中盤のリソースの生産力になると言える。
「そこに挿さないのか?」
西大寺が個人ボードの横を指差し問うと、カワイは一瞥をくれただけでカードを無言で捨て札の山へ滑らせた。効果を使用し、王冠トラックを二段階進めることを選んだのだ。
「貴族、手元にキープしすぎじゃない?ゲーム終了時にちゃんとコスト、払えるのか?」
少し笑いながら言う西大寺の声は、冗談のようでいて、少しだけ本気だった。
「ほっとけ。最後になればなるほど、どうせ金なんて余るんだよ」
「カワイ、欲張るよね」
珍しく、ユカが少し笑った。ふと、それを見たぼくは気づく。
今の仕草。
普段はいつも、ユカはどこか憂いを帯びている。滅多に笑わないし、表情はあまり豊かではない。だが、今の一瞬の表情には、どこか懐かしいものがあった。
「そうだ…。もっと笑っていた」
記憶の断片が、ゲームの箱絵からじわりと滲み出すようだった。箱の中央には、こちらに背を向けたアール・ヌーヴォー調の女性が窓の外を見つめている。ぼくはアルフォンス・ミュシャが描いた女性を思い出す。どこか神秘的で、それでいてすべてを包み込むような表情。勝手に思い描いたその顔がぼんやりと、テーブルの向かいに座るユカの顔と重なって見えた。
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建物のあるアクションスペースでアクションを行うと、建物のオーナーにボーナスが入る。建物を建てておくと、そのアクションスペースを使うことを躊躇わせたり、人気のあるアクションを押さえて利益を見込んだりという効果が期待できる。名声カードはかなり重要で、スタートプレイヤーを決める要素となる他、3つのトラックを上げる主な手段となる。特にキープした貴族カードの利益を最大限活用するには王冠トラックを上げるのが必須と言っても良い。だが、効果を使わず個人ボードに挿しゲーム終了時得点を狙うのも重要で、悩ましい選択だ。
4.
ゲームは次のラウンドに入った。西大寺から定規が移動し、今度はユカがスタートプレイヤーになる。彼女は数秒だけ手元のボードを見つめたあと、静かにアール・ヌーヴォーボードの範囲を指定した。
「じゃあ、建築から」
彼女は1金をワーカーとともに配置し、建築アクションを実行する。建築はこのゲームの核心にあるアクションの一つだ。直接的な得点も得られ、建物を配置すれば利益を見込めるし、ゲーム終了時にも得点がある。ただし、それなりにリソースを食う。必要になるリソースもアクションごとにプレイヤーの気分で変化するから厄介だ。
建築アクションが実行されるごとに、それぞれの色をした建物が盤面を埋めていき、テーブルの上の街は次第に彩りを帯びていく。
「今回は誰もブリュッセル側に行かないのか?」ぼくに軽く視線を投げながら、カワイが尋ねる。
「お前が行きそうだと思ったけど」
「…ちょっと慎重になってるんだ」
ぼくは答えた。内心では「慎重」というよりは「臆病」だった。
断片的で不確かな記憶の中にある前回のゲームで、ブリュッセルボードで目立ちすぎたぼくは、何度か負のマジョリティを取りワーカーを失っていた。ワーカーの拘留はリソースの欠落だけでなく、精神的な手詰まり感も引き起こす。そのせいか、ぼくは無意識にボードの片側を避けるようになっていたのだろう。
「いいんじゃない?そういう時もあるよ」
西大寺が静かに言った。その声音には、どこか慰めにも似た色があった。
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アール・ヌーヴォーボードのアクションが埋まってしまっても、ブリュッセルボードで好きなアクションを行うことができる。しかし次のラウンドでワーカーが減ってしまうリスクが常に伴う。それを気にしすぎるのも良くないが、ワーカーの数は多い方が明らかに有利であり、ワーカーの救済方法を用意しておくに越したことはない。負のマジョリティ争いというと耳障りは悪いが、この辺りの駆け引きもとても面白く感じられる。
5.
名声カードの競りでは、また新たな戦いが始まっていた。今回は、アイリストラックが進むカードをみんなが狙っているようだった。
「マジョリティの得点、意外とばかにならないからな…」
西大寺がそう言いながら、わずかに眉間に皺を寄せた。アイリストラックを進めれば進めるほど、ラウンド終了時におけるアイリスのマジョリティ得点が跳ね上がる。一度に複数の箇所が決算されるので、1点2点の違いが積み重なり、その差が次第に重くのしかかる。
だがそれは、全てではない。
そのカードは個人ボードに挿したときの効果も高かった。個人ボードに挿してゲーム終了時の得点を高めるか、それとも即座に効果を使ってトラックを進めるか。
競りに勝ったカワイが、今回は挿す方を選んだ。
「珍しいじゃん」と西大寺が笑う。
「結局、何枚かは挿さなきゃ伸びねえんだろ」
一方ユカは、建築家トラックを2段階進めるカードをすぐに使用し、そっと手放した。その所作には、何か確信めいたようなものが感じられた。
このラウンドで名声をひとつも競り落とせなかったぼくは、無意識に箱の表に描かれた装飾的なパターンを目でなぞっていた。金色の曲線が美しく弧を描き、窓の外を見つめる女性へと続いている。
ユカと、不意に目が合った。
「あの時、私、笑ってたよね」
「え?」
「前にこのゲームをやったとき。あのとき、私、結構楽しそうにしてた気がするな」
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ラウンド終了時のアイリスのマジョリティ得点は、思った以上にじわじわと効いてくる。ここで対戦相手にいいように稼がれると、アイリストラック最強か?と思ってしまうが、全てのトラックを満遍なく上げるのは難しいので意外とバランスは取れている。焦らず自分の強みを活かすべし。
6.
何かを見透かされたようで、ぼくは何も言えなかった。だが確かに、さっき見せたユカの笑顔が、ぼくの不確かな記憶の中のユカの笑顔と重なった。その笑顔を、ぼくは本当に知っていたのだろうか?それとも、ただそうあってほしいという願望が、記憶として勝手に描いただけなのか。
「記憶ってさ、上書きされるのかな」
ユカの言葉に、西大寺があえて茶化すような口調で答えた。
「容量が足りないと、勝手に消えるらしいよ」
「スマホと同じだね」とユカが返す。
「じゃあ、ちゃんとクラウドに保存しとかなきゃね」
カワイは何も言わなかった。ただ黙って手元のコインを数えなおしては、何か少し困ったような表情をして、手元に並ぶ貴族カードたちをアンタップしていった。
いつの間にか、雨粒が窓を叩く音が静かに響き始めていた。新しいラウンドの始まりを告げるかのように。
ユカはじっと、窓の外を見つめていた。
※本文は「架空のプレイ記を載せることでよりプレイの楽しさ、臨場感が伝わるのではないか」というコンセプトで書かれたフィクションです。ゲームの内容に関するもの以外は全て架空のものです。
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